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吉田口登山道 四合目~五合目

撮影日:2013/07/14
撮影地:富士登山 吉田口四合目(現五合目)(山梨県)
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富士吉田口登山道の旧四合目(現在では四合目とも、五合目ともされている)には近年まで営業小屋がありました。井上小屋です。しかしながら、現在は営業しておらず小屋の建物もかなり荒れてしまっています。

古く江戸時代、四合目(井上小屋よりやや低いところ)には一軒の茶屋がありました。大黒室(だいこくむろ)です。
(以下、案内板より)
四合目 大黒天
四合目には茶屋(山小屋)が一軒ありました。この茶屋は屋内に古くから大黒天像(開運大黒天)を祀っていたことから、大黒室(だいこくむろ)あるいは大黒小屋と呼ばれていました。
開運大黒天は、福の神として、富士講の人々に信仰されており、この茶屋では木版で紙に刷った大黒天像を登山者に授けていました。これを受けた者は、掛軸に仕立て、礼拝の対象としました。
この場所は、江戸時代には三合五勺ともいわれていました。



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撮影日:2013/07/14
撮影地:富士登山 吉田口四合目(現五合目)(山梨県)
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井上小屋の左手には御座石という神が依り付くとされた岩があります。恐らくは富士講の人々の手によるものと思われる「日本橋」という文字がはっきりと刻まれています。

(以下、案内板より)
四合五勺 御座石(ございし)
左手に立つ岩壁が御座石です。御座石とは神の依り付く石のことで、かつてはこの岩の上に浅間明神(せんげんみょうじん)と日本武尊(やまとたけるのみこと)の祠が祀られていました。
ここはすでに戦国時代に御座石と呼ばれており、「女性禅定(にょしょうぜんじょう)の追立(おいたて)」の場とされていました。江戸時代になると二合目以上が女人禁制とされましたが、それ以前の戦国時代には女性はここまで登ることが許されていたようです。この岩は、古い時代における女人禁制の場を象徴するものでした。
この場所は、四合目といわれた時代もありましたが、現在では五合目となっています。



撮影日:2013/07/14
撮影地:富士登山 吉田口五合目(山梨県)
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写真は五合目たばこ屋という、江戸時代から続いた中宮の山小屋跡のひとつです。

(以下、案内板より)
中宮(ちゅうぐう)
ここから先の一帯は「中宮」「天地の境」と呼ばれる領域で、富士山を三区分する草山・木山・焼山のうち、木山と焼山の境界にあたります。
ここから連続して四軒あった山小屋は、江戸時代には総称して中宮役場と呼ばれていました。それぞれの小屋では、登山者から山役銭(入山料)を徴収していましたが、後には麓で前払いすることになり、その証明として交付された登山切手を改める場所となりました。
四軒の中宮役場の先には、江戸時代まで中宮社があり、そこには浅間・大日・稲荷が祀られていました。



撮影日:2013/07/14
撮影地:富士登山 吉田口五合目(山梨県)
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中宮役場の辺りの山道脇にシャクナゲの花が咲いていました。



撮影日:2013/07/14
撮影地:富士登山 吉田口五合目(山梨県)
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写真は冨士山雲切不動神社。

(以下、案内板より)
五合目不動小屋
江戸時代から続く山小屋で、早川館と同じく中宮の小屋の1つである。奥にある社には、不動明王が祀られ、小屋の名前の由来ともなっている。また、和光氏が経営していたことから、和光小屋ともいう。(後略)



撮影日:2013/07/14
撮影地:富士登山 吉田口一合五勺(山梨県)
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さらに山道を登っていくと、突然舗装道路に出ます。滝沢林道の終点近くとなるところで、右へ進むとこの上にある営業小屋・佐藤小屋の前を通って河口湖口五合目へと続いてそのまま富士スバルラインに通じています。また逆に左へ進めば二合目と三合目の間で横切った細尾野林道へと通じます。



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