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吉田口登山道 馬返し~三合目

撮影日:2013/07/14
撮影地:富士登山 吉田口馬返し(山梨県)
別ウィンドウで写真を拡大(640×427ピクセル)


富士山頂まで続く数々の登山道のうちで吉田口登山道は、歴史的な価値が大いに評価されてその全行程(麓の神社から山頂まで)が世界遺産の構成資産として登録されるに至った唯一の登山道となりました。(他の登山道は、基本的に標高1,500メートル以高の箇所のみ)
今年の富士登山では、この吉田口登山道を麓の馬返しから登ってみることにしました。実際には富士吉田の街の金鳥居(かなどりい)や北口本宮冨士浅間神社から中の茶屋を通ってこの馬返しまで歩くというのが本来の姿なのでしょうが、なにぶん時間的な制約もあるため金鳥居から馬返しまでの区間は富士急行の馬返しバスを利用させてもらいました。ちょうど、昔の人たちが馬に揺られてここまでやってきたように...。

吉田口登山道は別名北口登山道とも呼ばれており、表口と呼ばれる現在の富士宮口登山道と反対側に通じています。江戸時代以降の富士講による信仰登山において江戸方面からのアクセスの便もあって開けてきた登山道で、特に食行身禄(じきぎょうみろく)の入定(にゅうじょう)による富士講身禄派の隆盛以降は(※富士山でミイラになった人々のはなし の記事を参照のこと)、とても多くの人々によって辿られることとなりました。それは明治、大正、昭和の世になっても同様で、1964年(昭和39年)の富士スバルライン開通によって河口湖口五合目まで車で一気にいけるようになり多くの登山者が五合目から登るようになるまで続きました。

吉田口登山道には歴史的な遺構も数多く残っており、また富士吉田市等によって鳥居の再建や遺構の調査などがなされ明治40年以前の姿に復元・整備されました。世界遺産登録に合わせてか今年新たに設置された案内板も多くみられましたので、それらを読んで古の吉田登山道に思いを馳せつつ楽しみながら登ることできました。
以下、案内板の記述とともに吉田口登山道の馬返しから六合目までの区間を振り返りつつ辿ってみたいと思います。



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撮影日:2013/07/14
撮影地:富士登山 吉田口馬返し(山梨県)
別ウィンドウで写真を拡大(640×428ピクセル)


(以下、案内板より)
馬返(うまがえし)
ここから先は道が険しくなって馬を引くことができず、ここで馬を返したことから「馬返」の名がつきました。馬を降りた人々はここの茶屋で休憩し、道中の身支度を整えました。鳥居の下では正座し、富士山頂を拝んでいたようです。
富士山は麓から頂上までの間が三区分され、それぞれ草山・木山・焼山と呼ばれていましたが、馬返は草山と木山の境にあたり、富士山の信仰領域の基点となる場所でした。



撮影日:2013/07/14
撮影地:富士登山 吉田口馬返し(山梨県)
別ウィンドウで写真を拡大(428×640ピクセル)


(以下、案内板より)
禊所(みそぎじょ)
古来よりここから先は、富士山の聖域とされていました。これより先へ向かう道者(信仰のために登山をする人々)は大正期頃よりここでお祓いを受け、身を清めてから山頂を目指しました。そのため、この禊所は「オハライサン(お祓いさん)」とも呼ばれていました。
明治頃までは鳥居から一合目まで、直線的な登山道が通じていましたが、登山道を迂回させる新たな道ができた後、旧道跡にこの禊所(※)が建てられていました。
※註:案内板に、鳥居の奥に建つ大正期の禊所の建物の写真が掲載



撮影日:2013/07/14
撮影地:富士登山 吉田口馬返し~一合目(山梨県)
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しばらくは、このように緩やかな樹林帯の道が続きます。



撮影日:2013/07/14
撮影地:富士登山 吉田口一合目(山梨県)
別ウィンドウで写真を拡大(640×427ピクセル)


(以下、案内板より)
一合目 大日如来社(現・鈴原社)
鈴原社は、記録の上ではすでに戦国時代にその存在が知られています。古くは大日堂、大日社、大日如来社、鈴原大日などと呼ばれ、本尊には密教の最高仏の大日如来を祀っていました。
富士山の神である浅間明神は、仏でいうと大日如来にあたることを、登山する人々にます知らしめるために、吉田口登山道の最初の社であるここに安置したのだとされています。大日如来社が建つこの場所が一合目とされたのはそのためでした。



撮影日:2013/07/14
撮影地:富士登山 吉田口一合五勺(山梨県)
別ウィンドウで写真を拡大(640×428ピクセル)


登山道左手の一段高いところに、一合五勺にあった山小屋の遺構が残っています。でも、登山道から上がってまでわざわざ見にいく人は少なかったように思います。

(以下、案内板より)
富士山吉田口登山道の山小屋 一合五勺 レッキス
大正15年(1926)頃に開業した小屋で、一合五勺に位置する。小屋の名前は、今のカルピスと類似するレッキスという飲料水を販売していたことに由来するとされる。この小屋は、別の場所から移築されてきたという伝承があるが、建築部材に「太郎坊」という焼印が押され、水甕用と思われるドラム缶にも「太郎坊」と記されることから、元々は、烏天狗「太郎坊」を祀る五合目の小御嶽神社(こみたけじんじゃ)周辺の小屋であった可能性がある。
なお、近くには西念寺(さいねんじ)持ちの足軽地蔵堂があったとされ、この足軽地蔵に祈ると登山の足が軽くなったという。



撮影日:2013/07/14
撮影地:富士登山 二合目(山梨県)
別ウィンドウで写真を拡大(640×427ピクセル)


二合目には、冨士御室浅間神社(ふじおむろせんげんじんじゃ)がありますが、拝殿は倒壊の危険があるとのことでロープが張ってあり立ち入り禁止とされていました。
冨士御室浅間神社は、富士山中では最古の神社として699年(文武3年)に創建されたと伝えられています。本殿は1974年(昭和49)年に富士河口湖町勝山の里宮に遷祀(せんし)されました。



撮影日:2013/07/14
撮影地:富士登山 二合目(山梨県)
別ウィンドウで写真を拡大(640×427ピクセル)


拝殿の裏手(上の写真では拝殿の右手)には、フェンスの張られた中に河口湖畔の里宮に移された本殿の代わりに小さな祠がありました。



撮影日:2013/07/14
撮影地:富士登山 吉田口二合目~三合目(山梨県)
別ウィンドウで写真を拡大(640×428ピクセル)


一箇所木々の間から河口湖方面が見下ろせる場所がありました。ここで小休憩。



撮影日:2013/07/14
撮影地:富士登山 吉田口二合目~三合目(山梨県)
別ウィンドウで写真を拡大(640×428ピクセル)


先ほどの休憩地点から程なくして、林道細尾野線を横切ります。ここには五合目までで唯一の仮設トイレが設置されていました。



撮影日:2013/07/14
撮影地:富士登山 吉田口二合目~三合目(山梨県)
別ウィンドウで写真を拡大(428×640ピクセル)


林道との交差点の先からは、登山道の傾斜もかなり急になってきます。



撮影日:2013/07/14
撮影地:富士登山 吉田口三合目(山梨県)
別ウィンドウで写真を拡大(640×427ピクセル)


(以下、案内板より)
三合目 三軒茶屋(現・中食堂)
ここには江戸時代から茶屋(山小屋)が二軒ありましたが、古くから三軒茶屋と呼ばれていました。
ここからの見晴らしがよかったので、多くの登山者がここで休憩しました。
富士登山の行程では、早朝に麓の上吉田を発ち、ここで昼食をとることが多かったので、後には中食堂(ちゅうじきどう)とも呼ばれています。
茶屋の傍らには道了(どうりょう)・秋葉(あきば)・飯綱(いづな)の三神を祀った三社宮と称する社があり、富士講の人々に信仰されていました。現在は石碑が残されています。



撮影日:2013/07/14
撮影地:富士登山 往時の吉田口三合目(当時の絵葉書より)(山梨県)
別ウィンドウで写真を拡大(640×427ピクセル)


(以下、案内板より)
富士山吉田口登山道の山小屋 三合目 見晴茶屋(みはらしぢゃや)
三合目の茶屋で、茶屋の名は、富士五湖などを一望できたことに由来する。隣接する茶屋「はちみつ屋」と合わせて、江戸時代から続く小屋である。
この見晴らし茶屋は、享和元年(1801)に江戸の八町堀(※ママ)・築地・麹町の人々が奉納した弁財天像を祀ることから弁天堂ともいう。この弁才天像は、河口湖の「仙元弁財天(せんげんべんざいてん)」を模したもので、子授けを願う女性はこの像をなでて信仰した。
※註:八丁堀の誤りか?



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