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富士山でミイラになった人々のはなし

撮影日:2009/08/01
撮影地:富士登山 八合目元祖室(山梨県)
別ウィンドウで写真を拡大(640×480ピクセル)


今回の富士登山では、同行者たちの富士登山に対する理解の一助になればと、私が知る範囲で富士山富士山信仰などに関するいろいろな話をさせてもらいました。正直なところ「我ながらちょっとした富士登山ガイドができちゃってるかな...」と思えるくらいに(笑)

そんな中でも特に同行者たちの記憶に残ったと思われる話がふたつ。ひとつは以前に本ブログで紹介したこともある「天孫降臨と富士山に祀られる二女神のはなし」(※記事はこちら)で、もうひとつが「富士山ミイラになった人々のはなし」です。



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撮影日:2009/08/01
撮影地:富士登山 元祖室横にある烏帽子岩食行身禄入定跡(山梨県)
別ウィンドウで写真を拡大(480×640ピクセル)


富士山への信仰熱が頂点にまで極まると、どうも熱烈な信者たちは「富士山で最期のときを迎え、お山と一体になりたい」とそう願うようです。これを入定(にゅうじょう)といい、いわば宗教的な断食死をさします。彼らは皆生きているときでさえ苦行と節制とですでに枯骸にもひとしい状態だったのでしょうから、そのまま食を断って衰弱死していき富士山の厳しい風雨に晒されることで、その骸は次第に乾燥してミイラ化してしまうのです。
歴史上判明しているだけでも富士山での入定死を迎えた者は8名にのぼります。古くは平安時代の末代上人にはじまり、江戸時代により多くその例が存在します。文化年間に入定を果たした妙心法師(1817年/文化14年没)のミイラは現存するただひとつの富士山における入定即身仏で、現在は山から下ろされて故郷の岐阜県揖斐郡谷汲村横蔵寺に安置され祀られています。

さて、「富士山ミイラになった人々」の中でもとりわけ有名なのが本日の写真の元祖室隣りにある烏帽子岩入定を果たした食行身禄(じきぎょうみろく)です。
彼の生きたのはまさに富士講の分裂と抗争の時代の只中でした。彼は傍系に当たる月行(富士講三世旺心の弟子で、四世月旺と同門に学んだ)の弟子となり、当時六世を継いでいた村上光清(むらかみこうせい)とは対立関係にあったのです。もっともこのふたりが表立っていがみ合っていたというような記録はありません。しかしながら、御法家を称していた光清の「村上講」と傍系に甘んじていた彼の「身禄組」とではあきらかに歴然とした格差が存在しました。そして富士講の人々が利用した麓の吉田では、いつしか「乞食身禄に大名光清」などと口さがない言葉が囁かれるようになっていったのでした。
身禄はその誰よりも熱い富士への信仰ゆえに、遂には富士山中での入定を決意します。享保18年(1733年)6月13日、白の行衣に白の野袴で登山し、頂上で厨子を組立てて行に入ろうとしましたが、大宮浅間の手代に断られて仕方なく七合五勺の烏帽子岩(現八合目)まで下りました。そこで断食の行に入り、そのまま入定したのです。彼が行に入ってから亡くなるまでの31日間世話をしながら師の説法『三十一日の巻』を筆記した弟子の田辺十郎右衛門(行名 北行鏡月)は、のちに自分が大行者に取り立てられたと喧伝し、身禄が北口(現吉田口)繁盛のために入定なさったのだと宣伝して回ったそうです。清廉無欲で信仰の道を真っ直ぐに生きそして死んだ身禄が果たしてそれを望んだのかどうかはさておいて、とにかくも『三十一日の巻』という経典の存在は結果的に身禄一派に大いなる発展を促しました。

身禄の入定から280年あまり、この烏帽子岩富士講行者たちにとっての一大巡礼地となりました。
いま烏帽子岩の祠の前には「烏帽子岩元祖食行身禄尊師御入定霊跡」の碑が立ちます。身禄の亡骸のミイラはその後の対立抗争の中で反対派に壊される事件が発生したため、以後石棺に納められて石室に埋められその場所は一子相伝して他人に知らさぬようになってしまったそうですが、いまでも烏帽子岩は富士講の重要な巡礼地として伝わり、そして元祖室富士講の人々が利用することが多いと聞きます。

※本文中の富士山における入定についての記述は、遠藤秀男氏の『富士山の謎と奇談』(静新新書)を大いに参考にさせていただきました。



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コメント


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おはようございます。
素晴らしい自然の写真をまとめて見させていただきました。
一緒に山登りして、美味しい空気をたくさん吸った
そんな清清しい気分です。
富士山でミイラになった人?知らなかったです。
興味しんしんで読みました。
本当は怖いお話なのかな?なんて、おそるおそるv-404

ほのか | URL | 2009年08月15日(Sat)08:09 [EDIT]


ほのかさん、こんばんは。

コメントありがとうございます。

この土日に富士山に登ってきました!
今回はひとりで。
昨年に続き今年も2度目となる富士登山、
「どんだけ好きなんだ?」って
言われてしまいそうですね(笑)

「富士山でミイラになった人々」なんて話、
たしかに怖い話かと思われてまいそうです。
でも、このインパクトの強さが同行者たちには
印象に残ったらしく、登っている間にも
「ミイラになった場所はまだ先ですか?」
なんて訊かれたりしたんですよ。

Newman | URL | 2009年08月16日(Sun)22:11 [EDIT]


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| | 2013年01月09日(Wed)21:04 [EDIT]


鍵コメさん、コメントありがとうございました。

茶店があったという峠は、2年ほど前の秋山縦走の折にも訪れました。
そこに食行身禄が安置されていたことや、その後は場所を移されて浅間神社に祀られたことなど初めて知りました。
興味深いお話をいただきありがとうございました。

Newman | URL | 2013年01月11日(Fri)21:58 [EDIT]